お供の一日

お供の一日


台風の影響を気にしつつ、予定通り来徳されるお客様のお出迎えと
お供の一日でした。

ホテルのロビーにオシャレな七夕のディスプレイがありました。
笹じゃなくて葉っぱのようですが、私もお願い事を書いてみました。

ご褒美のスィーツを味わいながらも、濃い目の打ち合わせが続きますが、
面白いワードや興味を引く会話の内容に、質問が次々出てきます。
好きだな~♡こんな時間。
私の知らない世界を教えてくれる、人生の大先輩です。

そして、普段ならお目にかかれないような方とご一緒させて頂き、
学ばせて頂く事が多く、なんと有り難いお供かと感謝感謝の一日でした。

昭和一桁生まれのうちの父は、男尊女卑思想の典型のような人でしたが、
同じ年代の方にしては、人生の半分以上を海外で過ごされていたとのことで、
とても進歩的な考え方が身に付いていらっしゃるようです。

50年前デンマークにいらした頃に執筆された当時の冊子を拝見し、
今の日本は50年前のデンマークにも追いついていないことを教えて頂きました。

また、若かりし日から女性に対して畏敬の念を抱いていたとのことで、
それは、与謝野晶子が発表した「君死にたもふことなかれ」を知った時。
当時、あれほどナショナリズムに傾いていた日本で、これほどストレートに
お上に対して異を唱えることができた与謝野晶子は、尊敬に値する女性であったのでしょう。

今見ても、「命」を生み出す女性の本能から出る、魂の叫びのように感じます。
改めて、読んでみたいと思いましたので、載せておきます。

君死にたまふことなかれ

與 謝 野 晶 子

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

 

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